21日目
今読んでいるのはこの本。
正確には、昔読んだ本を読み返している。
昔と今とでは経験も感じ方も違っていて、新たな発見や気づきがある。だから本を読み返すの好き。面白い。
日本に来てやりたいことの一つがジブリ作品を観まくることだったから、めちゃテンション上がった!
キキが飛べなくなったとき、『魔法が無くなったら、何の取り柄も無くなっちゃう。』って言うんだよね。
それが、すごく今の自分の心境と重なっていて。
キキにとっての魔法は、さしずめわたしにとっての協力隊だった。
もっと言うと、協力隊という夢をあきらめなかった自分、かな。そんな自分が誇りだったし、えらいぞ!よくあきらめなかった!と思っていた。
その活動が無くなったとき、わたしはわたしにOKサインを出せるんだろうか。
自分が、これやりたい!したい!誇りだ、と思っていることが出来なくなったとき、それでも自分に、そのままでいいよと言ってあげられるだろうか。
生きているだけであなたは素晴らしいと、他の人には言えるけど、自分自身に対して心から思えるのかな。
前の記事でも書いた清水先生の著書の中に、優秀な外科医として第一線で活躍されていた医師が、がんにより外科医としてもう第一線に立てなくなった時の自分自身の受け入れる過程が書かれてあった。
これが自分の存在価値、存在意義、そう思っていたことが揺らいだ時、音を立てて崩れた時、わたしはそれを受け入れられるんだろうか。
いや、受け入れるしかないんだけども。
そんな話を今日母としたんだ。
そしたら、『協力隊とか仕事とかの前に、あなたは浅井家の娘なんだから。そこは揺るがないでしょう?あなたが生きているだけで、みんな幸せなんだよ?だから、生きているだけで、そこにいてくれるだけでいいんだよ。』と言われた。
涙があふれた。え、うちの母、本当にすごい。何だろう、えーん。涙が止まらなかった。
世界中の人全員に、こういう言葉をかけてくれる存在が身近にいれば、世界はもっと穏やかになると思う。
これまでの人生で数回、「恵子ちゃんには癒しの力がある。」と言われたことがあって、それはとってもとってもうれしい言葉なんだけど、
もし本当にそうだとしたら、それは紛れもなく母親から受け継いだものであると思われる。
そして、そういう時は決まって、自分も癒されているのを感じる。
癒しは一方的なものではないと思う。
死を前にしての自分の感情、生きているだけでいいと受け入れる感覚、清水先生の著書もランディさんの作品も、魔女の宅急便も、そんなことをわたしに投げかけた。
そして、全てを通じて癒されていくわたし。
何とも不思議な感覚。
やはり帰るべくして帰ってきたのだろうと思うのよね。
意味づけ自体あまり意味のないものかもしれないけど。
ユーミンが歌う、魔女の宅急便のエンディング曲『やさしさに包まれたなら』の最後の歌詞
“目にうつる全てのことは メッセージ”
今そんな毎日だ。