keikoasai’s diary

全ての感情は生きてるが故

133日目

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わたしの記憶はわたしだけのもので、そこには誰でもないわたしの世界が広がっていて、ブログのネタが何も浮かばないというのは本来は無くて、自分の記憶と繋がれば湧き水のようにあふれ出てくる、というような話を今日聴いた。

 

もう一つ、以前にも少し書いたけど、世の中の事象というものは、自分とその事象の関係性によって(自分の中で)意味づけられると言う話。

わたし達が捉えているのは、事象そのものではなくその関係性。関係性が本質である、という話を再度聴く機会があり、やっぱりなるほどなと思った。

 

わたし達は全て、関係性の中で存在していて、他者を判断していて、そして感じる苦悩というのはそれも全て関係性の中にあるというもの。

対人、だけでなく、対、モノ、コト、全て。

 

 

わたしは今割と悩んでいる。

親のこと。

認知症の父は、自分のしたことをすぐに忘れてしまうから、些細な会話が成り立たないことがある。

「さっき持ってた手紙、どこ置いたの?」

「この下着は今脱いだの?これから履くの?」

ほんの数分前のことも、わからない。

わからないから、こっちもわからない。

2人ともわからない。

 

わからないって脳にとってはすごくストレスで、だから人間はわかろうとするんだけど、でもこの場合、わかるという解決方法は期待できない。

だから、その解決方法を探している限り、2人ともずっとストレス。

わかるという解決方法は放棄して、この瞬間に必要な方法を選択していく。

普通のことなんだけど、これがまたわたしにとって難しいんだな~。

自分がこんなにわかっておきたい人間だったんだと知った。いや人間なら当たり前なのか。

 

わからないってこんなにストレスなんだ、ということをとても実感しているし、多分、父の方がめちゃくちゃストレスかかっている。

わからなくなっていく自分がわかるから。

 

わたしはわからないとついイライラしてしまって、強く言ってしまう。

母が入院してからそれが圧倒的に増えた。

一時期母が父とご飯を食べなくなったときがあって、なんでだろう?と思っていたけど、最近わたしも父とご飯を食べられない。

普通に接することが難しい。

2日くらいすると、また一緒食べて、そしてまた食べられない時が来て、そんな感じ。

母も同じかどうかはわからないけど、もし同じであれば、何となくその気持ちがわかった。自分の中で折り合いをつけているのかなって。わたしはそう。

 

会話をしたほうがいい、本人を尊重して接する、笑顔で、

やりたくてもやれないことばかり。

 

父の認知症という一つの事象と、自分との関係性を今考えている最中なんだなぁと思う。

症状が進むのを遅らせることはできる。でも、以前の父に戻ることはない。

今起こっていることと、わたしの間の関係性。

しかも今起こっていることは、症状が進むという形で更新されていくから、関係性も更新されていく。

 

果たしてわたしはこの更新を受け止め切れるんだろうか。

 

 

過去を見ているんだな。わたしは。今を生きている父と違って。

同じ視点に立ちたいな。